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自助会という場がある意味


KAのみならず、AA(アルコール依存症者者の自助会)、NA(薬物依存症者の自助会)、GA(ギャンブル依存症者の自助会)、AC(アダルトチルドレンの自助会)他、

世の中には各地域にたくさんの自助グループが発足し、定期的に開催されていますがなぜそういう場が増えてきているのかを考えたことはあるでしょうか?



わたしはこういった自助グループに関して"傷の舐め合い"というようなイメージを持っていました。



実際、ある精神科医は「悪い影響を受ける場合があるし、傷の舐め合いをしているだけだ」と否定的に言っていたのも覚えています。 たしかに自助グループの空気感が自分に合わなかったり、病気に関して話すということは時に苦痛に感じてしまうこともあるかもしれません。

ですが、私の場合約1年半前しっかり依存症という病と向き合い続けなければならないなと覚悟をしKAに足を運んだ日から自助グループで悪影響を受けているように感じたことは全くありません。 むしろ、私の日々の生活の中で無くてはならない一部になりました。  それはやはり自助会でしか話せない話、それまで誰にも理解してもらえるわけがないと思っていた話を包み隠さず話すことができるようになるからだと思います。 私がミーティングへ参加し続け強く感じた感じたことは、依存症者の多くが周囲の人からの周囲の人から向けられる目や評価を気にしている方が本当に多いということです。

「自分がしなくてはならない」「お手本にならなくてはならない」「迷惑をかけるなんてとんでもない」といったように常にいい子ちゃんでいなければならないので自分のことを相談したり、自分のみっともないと思う部分を人に見せることができないのです。 だから1人で何もかもを抱え込まなくてはいけなくなり、それが積もりに積もってアディクション(依存症の症状)に頼るしかなくなってしまうのだと思います。 同じような生き方や、考え方で苦しみ、依存症から抜け出せなくなった人同士だから理解し合え、親身になって話を聞いてもらえる安心感がその場にはあるからこそ

それまで話したくてもどうしても話せなかった話を包み隠さず話せるのです。



心を奥底の方でぎゅーぎゅー詰めにされた自分自身の本当の思いを少しずつでもミーティングの時間に言葉として出していくことで言葉と一緒に詰め込まれた悲しみや苦しみも放出され、うーんっと心が軽くなります。




私自身、回復したと言い切れるようになるまでの道のりはまだまだ遠いですが自助グループに通い続けているとアディクションを必要としなくてもよくなるのではないかなと思うのです。



自助グループは生きづらさを抱えた私たちの受け皿に間違えなくなってくれるはずです。



私たちは自助グループが持つ力と、

そして自助グループがある意味を信じてミーティングに通い続けるべきなのではないでしょうか。



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